ケータイ辞書JLogosロゴ 森本村(近世)


兵庫県>中町

 江戸期〜明治22年の村名。播磨国多可郡のうち。もと豊臣氏蔵入地。慶長5年姫路藩領,寛永16年からは幕府領。宝暦〜安永年間には三日月藩預り地であったという。村高は,「正保郷帳」321石余うち田310石余・畑11石余,「元禄郷帳」(竜野市立図書館蔵)411石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに413石余。明和9年三日月藩預り地,多可郡内15か村中10か村の農民を代表して当村の文右衛門ほか10人が江戸藩邸に直訴した。訴状(大西家文書/中町史史料篇)によれば,先納銀や郡中入用割の増加による困窮,割元庄屋に対する帳面の公開,廻米の江戸上納の際一般農民にも上納役を命じてほしいなどというものであった。その後,文右衛門以下出訴の者や関係村々の庄屋・年寄・百姓代が陣屋に召し出されて吟味を受けた。鎮守は,山王神社。同社は近江国坂本村の山王権現神社(日吉神社)を勧請したもの。明治22年中村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7396960
最終更新日:2009-03-01




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