ケータイ辞書JLogosロゴ 屋形村(近世)


兵庫県>市川町

 江戸期〜明治22年の村名。神東郡のうち。もと豊臣氏蔵入地。慶長5年姫路藩領,寛文3年福本藩領,同6年からは旗本池田(屋形)氏領。村高は,「正保郷帳」438石余うち田396石余・畑41石余,「天保郷帳」461石余,「旧高旧領」473石余。北部の初鹿野は永禄年間当村に属した。旗本池田氏が地内小山に陣屋を設け,10軒ほどの家臣とともに領地を統治した。宿場があり,交通の要衝としてにぎわった。また,市川の川舟も当地が最終点で,宿場とともに発展した。安政6年の村支配割帳によれば,家数120,ほか寺院2・宮1。神社は承応3年建立の石神神社。寺院は曹洞宗永貞山宝樹寺。同寺は赤松晴政が祖母(桂瑶院)の菩提を弔うために永正年間に建立。同寺境内の薬師堂は往古薬師山麓にあった開拓神で,宝樹寺創建のとき同地に勧請したもの。地内太郎太夫山山林の中の通称立壁の岩上に立壁大師堂がある。ほか上組・下組・中組それぞれに石仏を祀り,地蔵信仰が盛んである。現在も8月23・24日ほおずき提灯・ぼんぼり灯が集落を埋めつくし,参詣人でにぎわう。明治11年郡役所が宝樹寺に開設。同12年の反別は田55町6反余・畑2町3反余・宅地4町8反余(神崎郡誌)。同22年川辺【かわなべ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7396999
最終更新日:2009-03-01




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