ケータイ辞書JLogosロゴ 八上新村(近世)


兵庫県>篠山市

 江戸期〜明治22年の村名。丹波国多紀郡のうち。もと豊臣氏蔵入地。慶長7年八上藩領,同13年からは篠山藩領。磯宮八幡社の北にあり,京都と摂津両幹線道路の交差点に位置していたので,江戸期以前から宿場町であった。「丹波志」は八上上町の出戸であると記している。村高は,「丹波志」286石余。「天保郷帳」には当村名が見えず,八上上村のうちに含まれている。字宮裏に鎮座する八幡神社は承平3年山城国男山より勧請といわれ,当郡4か荘の総社として歴代藩主が崇敬した。建武2年足利尊氏の植えたと伝える裸榧は目通り約4m・樹高約20mの古木。宮寺を真言宗雲晴山磯宮寺といい,木造の持国・多聞両天立像は平安期の作で国重文。明治6年新村小学校を開設,教員数7,生徒数男164・女11。同22年日置村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7397009
最終更新日:2009-03-01




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