ケータイ辞書JLogosロゴ 八木村(近代)


兵庫県>三原町

 明治22年〜昭和30年の三原郡の自治体名。養宜村・笶原【やはら】村・天野村が合併して成立。養宜上組・養宜中組・養宜入田組・笶原鳥井組・笶原新庄組・笶原徳野組・笶原野原組・笶原国分組・笶原立石組・天野大久保組・天野馬廻組・天野寺内組の12大字を編成。村役場は笶原鳥井組に置かれた。明治24年の戸数980,人口は男2,483・女2,312,世帯数・人口は,大正9年782・3,976,昭和10年755・4,018。明治25年笶原簡易小学校を村立八木尋常小学校とし,同33年校舎を笶原国分組に新築移転,同43年の児童数は男325・女303(八木村誌)。昭和22年八木小学校開校。養宜中・養宜野原・養宜徳野の各地区はもともと水利が悪く,畑作が多かったが,同25年の成相ダムの完成によって用水の苦労から解放された。名勝八木の並松は大正15年国天然記念物に指定されたが,昭和35年からの国道28号の改修工事とその後の松喰い虫の被害によってほぼ姿を消した。昭和30年三原町の一部となり,12大字はそれぞれ八木養宜上・八木養宜中・八木養宜入田・八木笶原鳥井・八木笶原新庄・八木笶原徳野・八木笶原野原・八木笶原国分・八木笶原立石・八木天野大久保・八木天野馬廻・八木天野寺内となり,同町の大字に継承。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7397019
最終更新日:2009-03-01




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