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山田荘(中世)


 室町期に見える荘園名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7397248]
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角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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山田荘(中世)

 鎌倉期~南北朝期に見える荘園名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

山田荘(中世)
平安末期~戦国期に見える荘園名尾張国山田郡のうち所在地・四至は詳かでなく,散在型荘園であった可能性もあるが,荘内地名は名古屋市守山区・名東区・千種区・東区・北区に分布し,荘域は庄内川左岸および矢田川流域一帯と尾張東部の丘陵地の迫を中心に分布していたと推定される荘名の由来は,弘安8年8月日付東大寺領諸荘注進状写に「以郡名為庄名」と見え(東大寺文書/一宮市史資料編6),郡名による仁平3年4月29日の東大寺諸荘園文書目録に「山田庄券」と見え(守屋孝蔵氏所蔵文書/同前),天平勝宝4年に勅施入,延喜9年立券されたと伝える天暦4年11月20日の東大寺封戸荘園并寺用雑物目録(東大寺文書/同前)にみえる「山田郡六町」,長徳4年の東大寺領諸国諸庄田地注文(東大寺要録)の「山田郡卅六町」がこれにあたるしかし弘安8年にはすでに転倒,東大寺はその由来・当知行の輩も不明としている当荘の本家職は皇室にあり,安元2年以降八条院領,女院没後の建保元年には後鳥羽上皇の管領下にあった東大寺支配の崩壊後,院政期に寄進されたものかのち庁分として伝領され,嘉元4年6月12日には昭慶門院喜子内親王領となった(竹内文平氏所蔵文書/鎌遺22661)領家職は九条良輔が管領,これを藤原定家に与え,建暦元年9月8日以前に源通光,建保元年5月18日には藤原光家に与えたが,同月22日後鳥羽上皇はこれを収公した(明月記)なお,当荘内には国衙領東三条・小松江保があった(醍醐寺文書/一宮市史資料編6)地頭職は,平安末期美濃より山田郡周辺に来住した重宗流源氏山田氏の一族であった可能性が高い(沙石集・長母寺縁起など)山田重忠はじめその子孫は承久の乱に京方につき,主だった所領は没収されたと推定されるものの,なお一族は郡内各地に勢力を扶植している(尊卑分脈)荘内の稲生郷地頭免田はじめ地頭職の系譜をひく所領の一部は,長母寺領となって南北朝期に至った(名古屋市博物館所蔵文書貞治4年7月7日付足利義詮御判御教書/県史料叢刊)応永32年以降,山田荘は室町幕府北野一万部経料所として見える(満済准后日記ほか)応永32年8月10日山田荘内に百姓逃散の動きがみられ,幕府は警戒を示した(満済准后日記)この時は大事に至らず終わったと思われるが,永享3年7月12日荘務のため派遣された蜷川親吉に対し百姓が強訴,次いで逃散が発生,幕府は富田荘をはじめ周辺の所領14か所に対し逃散百姓を許容することを厳禁する旨の御内書を発給した(室町家御内書案/集覧27)この翌年,代官職は北野社関係と推定される「一衆中」に宛行われた(同前)延徳2年には御料所年貢の減少が問題とされ,織田敏定が800貫文で請負っていた年貢を,織田伊勢守の仲介により持足院に請負わせた(伺事記録延徳2年9月15日・11月4日条/続大成)この記録を最後として御料所としての実態は15世紀末をもって失われたと考えられるなお永享2年8月13日には「山田庄道家」が石清水八幡宮大山崎神人より4月3日々使頭役に差定められながら従わずとして訴えられている(離宮八幡宮文書/島本町史資料篇)また,康応元年12月付歓喜光寺領並末寺領目録には末寺として「尾州山田市道場等覚寺」とみえる(歓喜光寺文書)山田荘周辺が中世流通面において注目すべき位置を占めていたことが推察される荘内の中世地名としては,志段見郷・稲生郷・蓮迫・猪子石郷・炭焼迫・秦江郷・狩越郷・田幡郷・八事北迫岩崎郷・東三条・小松江保・上野郷・志賀郷などがみえる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

山田荘(中世)
平安末期から見える荘園名伯耆【ほうき】国久米郡のうち保元3年12月3日官宣旨(石清水文書/大日古4-1)に「伯耆国 山田別宮」と別宮名をもって見えるのが初見別宮とは石清水八幡宮が地域の政治的宗教的支配の拠点として各地に設けた末社およびその周辺地域をさし,荘名をもって呼ぶ場合もあった応永13年閏6月7日石清水八幡宮内外殿勤行記(石清水文書/姫路市史1)に「山田庄〈伯耆国〉」とあるのがそれである石清水八幡による山田別宮支配は他の一般の荘園と同様の形態をとり,現地には荘官(下司)が置かれて荘園制支配の実務に当たった(山田別宮の神官がその監督に当たったものと思われる)文永11年6月19日関東下知状(石清水文書/鎌倉幕府裁許状集上)によると,当時の下司兵衛尉秀真は鎌倉幕府御家人を自称して石清水八幡宮に敵対しており,幕府では「至彼下司職者,宜為本所(石清水八幡宮)進止焉」との裁定を下して秀真の訴えを退けたが,荘園領主石清水八幡宮においてもこれら秀真のような在地豪族の協力なしには在地支配を維持することができなかった現在,安永2年に鋳直されてはいるが,同社に残っている,弘安6年3月15日山田八幡宮鐘銘(伯耆民談記/日本古鐘名集成)には「大日本国山陰道伯州久米郡北条郷山田八幡宮推鐘 此鐘者平司舎兄左金吾紀秀員法名真観,在主之時以所蓄量之用途所奉鋳也」とあって,かつての下司秀真の一族と思われる紀秀員が山田八幡宮を支える重要な一画を構成しているここに見える紀秀員も山田別宮下司職の地位にあったのではないだろうか戦国期,堤城に拠って北条郷地域に勢力をはったといわれる山田氏はその後胤にあたると推定されている(県史2)大永2年3月29日室町幕府奉行人連署奉書(石清水文書/大日古4-5)には「伯州山田別宮事,山田弥三郎左衛門尉号本主,強入部之間,去年々貢社納云々」とあり,石清水八幡宮および山田別宮の権力をてこにして成長したと推定される山田氏が,明らかに荘園領主権力を否定する政治的主体として成長してきていることがうかがわれるのである石清水では文明6年2月27日(同前)をはじめとして,再三室町幕府に訴えて在地での支配秩序の維持につとめたが,それも効力なく,「近年有名無実」(永正5年12月6日室町幕府奉行人連署奉書/大日古4-5),「依国劇,有名無実」(永正3年2月23日室町幕府奉行人連署奉書/大日古4-5)などといわれる事態に陥った堤城主山田氏はこのような荘園制支配の否定の上に成長したものといえるであろう中世の山田別宮は今日の北条町北尾の山田八幡宮にあたり,別宮としての領域は北条郷北尾を中心に島・曲を含むものであったと推定される(県史2)...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

山田荘(中世)
 鎌倉期~戦国期に見える荘園名...

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山田荘(中世)
 平安末期~室町期に見える荘園名...

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山田荘(中世)
 平安末期~南北朝期に見える荘園名...

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山田荘(中世)
 戦国期に見える荘園名...

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山田荘(中世)
 平安末期~戦国期に見える荘園名...

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山田荘(中世)
 鎌倉期から室町期に見える荘園名...

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山田荘(中世)
 鎌倉期に見える荘園名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

山田荘(中世)
戦国期に見える荘園名越前国大野郡のうち天正元年8月,織田信長軍に敗北した朝倉義景は一乗谷を捨てて大野に逃れるが,「信長公記」6や「国吉城籠城記」では「大野郡の内山田庄六坊」に入ったと記している近世の「名蹟考」では,大野郡の新庄・右近次郎・下舌・上舌・領家・地頭方・上黒谷・下黒谷・上荒井・深井・飯降【いふり】・鍬懸の12か村を山田荘としているなお永享6年分と同8年分の長講堂談義米算用状に大野郡小山荘と並んで山田荘18石余が記されているが(天理保井家古文書),当荘を指すかどうか不明少なくとも室町期まで,「名蹟考」で山田荘域とされる地は小山荘に属していたが,山田荘がどのようにして成立したのか明らかでない...

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