ケータイ辞書JLogosロゴ 湯村(近世)


兵庫県>温泉町

 江戸期〜明治22年の村名。二方郡のうち。天正11年因幡国鳥取城主宮部氏領。慶長6年同国若桜藩領,慶長10年旗本宮城氏の知行,寛永20年幕府領,寛文8年豊岡藩領,享保11年からは幕府領。村高は,文禄3年検地という二方郡古高帳94石余,寛永4年の二方郡高帳新高204石余,「但馬国知高帳」235石余,「天保郷帳」106石余。村高は宮城検地によって2度の引上げが行われたが,宮城氏断絶後は旧高の94石余となる。温泉は荒湯と名付けられ,高温のため麻の浸漬,茹物以外の利用が妨げられ,公衆浴場1棟が設置されているにすぎなかったが銀43匁の湯役が課されていた。天保元年の宗門改帳(岡田恭明文書)によると家数169(百姓46・水呑120,寺2,山伏1)・人数872。当村牛市の定期開催は嘉永2年開設の村岡市より遅れたとみられるが,但馬牛を求めて集まった博労の宿泊が旅館の増加につながっている。鎮守は八幡宮。寺院は天台宗正福寺。明治5年戸長役場,湯村郵便局設置,同8年警察湯村分屯所が置かれ,湯村学校も設けられた。同22年温泉村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7397351
最終更新日:2009-03-01




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