ケータイ辞書JLogosロゴ 吉野村(近世)


兵庫県>加西市

 江戸期〜明治22年の村名。播磨国加西郡のうち。もと豊臣氏蔵入地。慶長5年姫路藩領,寛永年間頃幕府領,宝永元年姫路藩領,寛保元年幕府領,宝暦2〜13年上野国高崎藩領,文政5年幕府領,同8年遠江国浜松藩領,天保元年からは武蔵国忍藩領。村高は,「正保郷帳」124石余うち田117石余・畑7石余,「元禄郷帳」(竜野市立図書館蔵)149石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに150石余。なお,慶長検地の高153石余で,寛永16年検地により2割引の124石余が打ち出された。幕府領時の元禄7年から代官となる長谷川六兵衛はその善政により農民の支持を得,とくに元禄8年の旱損・大風に際しては免合の引下げや用捨引を実施したという(吉野区有文書)。正徳5年の定免0.488。宝暦2年領主松平輝高の大坂城代就任にともない,翌3年領地に道中夫金として高100石につき金3両が賦課された。天保14年牛病が流行し,弘化2年には疱瘡が大流行し死亡者も多かった(同前)。明治13年の戸数28・人口122,田13町余・畑1町余・山林5町余・無税地1町余(播磨国地種便覧)。神社は金峰神社(加西郡誌)。同22年富田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7397523
最終更新日:2009-03-01




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