ケータイ辞書JLogosロゴ 吉島村(近世)


兵庫県>新宮町

 江戸期〜明治22年の村名。播磨国揖東【いつとう】郡のうち。吉間村とも書いた。もと豊臣氏蔵入地。慶長5年姫路藩領,元和3年新宮藩領,寛文10年からは旗本池田氏知行。村高は,元和3年504石余(竜野市史2),「正保郷帳」420石余うち田275石余・畑144石余,寛文10年の旗本池田氏知行郷帳留(姫路市史10)によれば増高504石余(池田三左衛門内検地2割出)・高420石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに504石余。天保9年の家数86・人数308,牛35,慶応4年の家数87・人数349,牛35(斉明寺家文書)。当村は川漁や舟運の盛んな村で,寛政10年川運上銀20匁,天保13年生鮎献上55疋などが課せられ,享和2年の持舟15であった(斉明寺家文書・下野区有文書)。享保12年〜寛保3年にかけて対岸の河原の所属をめぐり上篠村などと争論を起こし,大坂町奉行所裁許となった。これらにより当村域は対岸一帯に広がったという(上笹区有文書)。鎮守は,三宝荒神2(池田家文書)。寺院は,浄土真宗本願寺派浄安寺(揖保郡誌)。明治14年の戸数89・人口385(播磨国地種便覧)。同22年香島村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7397535
最終更新日:2009-03-01




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