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- 漁師町(近世~近代)とは
「漁師町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 漁師町(近世~近代)
江戸期~昭和45年の町名江戸期は洲本城下の1町町人地明治22年洲本町,昭和15年からは洲本市の町名明治22年頃までは洲本を冠称城下北東部で,現在は洲本川河口右岸...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7397590]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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漁師町(近世~近代) 江戸期~昭和48年の通称町名猟師町とも書く江戸期は今治【いまばり】村,明治22年今治町大字今治村,大正9年からは今治市大字今治村のうち今治市街地の北東部に位置し,古くから漁業集落である貞享元年の「今治藩領改帳」によれば今治村のうちに猟師町の人口292,鰯網代8帳,船数合64艘,うち大船7艘・網船7艘・猟船50艘とある漁師が集中したので自然と町名になった貞享2年の町法度によると魚類の沖売りや他所売りを禁じており,町奉行の支配を受けているまた,享和2年「猟師町屋敷改帳」によると今治村庄屋と並んで漁師町庄屋藤兵衛・組頭弥右衛門がいる明治23年の戸数360,うち専業漁夫男536人・女527人明治36年今治漁業組合設立大正2年の水揚14万8,000円,うちタイ6万2,000円・カレイ2万3,000円・フグ1万3,000円・サワラ1万2,000円などであった中央浜手に戒(美保)神社がある現在の美保町1~3丁目のあたり |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」