ケータイ辞書JLogosロゴ 脇川村(近世)


兵庫県>三木市

 江戸期〜明治22年の村名。播磨国美嚢【みなぎ】郡のうち。もと豊臣氏蔵入地。慶長5年姫路藩領,元和3年明石藩領,同7年幕府領,天和2年明石藩領,幕府領を経て,享保15年から寛保2年まで大坂城代土岐氏領,のち再び幕府領。村高は,「正保郷帳」116石余うち田100石余・畑15石余,「元禄郷帳」(竜野市立図書館蔵)123石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに140石余。神社は大日神社。寺院は古義真言宗教海寺。教海寺は白雉2年法道仙人の開基,延暦2年から弘法大師が3年間修行した時に再創立したという。弘法大師のその時の名が教海であったことから教海寺となったという。のち焼失するが,文禄2年明石城主小笠原忠政が空照上人に命じて再建,福性院・福寿院も建立。また,脇川山は弘法大師の修行したといわれる霊場で,今も7か所の遺跡を残している。ほかに新田の開拓者藤本小三郎の功を表する記念碑が字新田にある。明治15年の耕地182町1反余,戸数20・人口88(播磨国地種便覧)。同22年細川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7397620
最終更新日:2009-03-01




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