ケータイ辞書JLogosロゴ 和田村(近世)


兵庫県>村岡町

 江戸期〜明治22年の村名。但馬国七美【しつみ】郡のうち。慶長6年からは旗本山名氏の知行(明治元年村岡藩領)。村高は,「国高一紙」154石余,「天保郷帳」44石余。江戸期の当地は村岡町・福岡村とともに山陰道の3宿場のうちの1つで,寛永2年地内に制札場が置かれた(増補七美郡誌稿)。鎮守は皇太神社。朱鳥〜弘安年間当地和田森の池に住む大蛇が旅人を呑むため,村民が火焔を包んだ藁人形を呑ませて殺し,以後大蛇の化身が祟るので皇太神を勧請したと伝える。その蛇の骸骨を埋めて祀ったのが五厘(倫)塚であるという(同前)。明治22年射添【いそう】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7397664
最終更新日:2009-03-01




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