ケータイ辞書JLogosロゴ 赤部村(近世)


奈良県>広陵町

 江戸期〜明治9年の村名。広瀬郡のうち。はじめ幕府・多武峰・法隆寺の相給,元和元年からは郡山藩・多武峰・法隆寺の相給。村高は,「慶長郷帳」「寛文郷帳」ともに575石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに704石余。享保9年和州御領郷鑑によれば,郡山藩領の家数124・人数543,職人3・商人18。地内の新家は出垣内で,生島弥六郎が顕如上人に帰依して慶秀と称し,徳川家康から当村新家に4万3,200坪を下賜され,晩年赤部庵を結び長福寺となったという(長福寺文書)。当初に家7軒の移住があったと伝える。寺社は浄土宗極楽寺・浄土真宗本願寺派法林寺・真宗大谷派長福寺・菅原神社・讃岐神社・金刀比羅神社など。明治9年三吉村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7397715
最終更新日:2009-03-01




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