ケータイ辞書JLogosロゴ 朝倉(古代)


奈良県>桜井市

 大和期から見える地名。雄略天皇の宮があったと伝える。「古事記」雄略段に「大長谷若建命,長谷の朝倉宮に坐しまして,天の下治らしめしき」,雄略即位前紀安康天皇3年11月甲子条に「天皇,有司に命せて,壇を泊瀬の朝倉に設けて,即天皇位す。遂に宮を定む」とある。なお「古事記」顕宗段に「大長谷天皇」,「万葉集」巻1に「泊瀬朝倉宮御宇天皇代」,巻9に「泊瀬朝倉宮御宇大泊瀬幼武天皇」,「延喜式」諸陵寮に「泊瀬朝倉宮御宇雄略天皇」などと見える。埼玉県行田市稲荷山古墳出土の鉄剣銘にある「斯鬼宮」の「獲加多支大王」も泊瀬朝倉宮の雄略天皇を示すとされる。「帝王編年紀」は「泊瀬朝倉宮〈大和国城上郡磐坂谷也〉」とし,「大和志」は黒埼・岩坂2か村の間にありとする。現比定地については,桜井市黒崎の天の森説(帝王編年記・和州旧跡幽考)と同市岩坂上岩坂の磐坂谷説(大和志・書紀通証・書紀通釈)および同市脇本・慈恩寺付近とする説がある(桜井市史上)。ちなみに「古事記」垂仁段には「倭者師木登美豊朝倉曙立王」の名が見え,倭・磯城【しき】・登美・朝倉の地名が含まれている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7397734
最終更新日:2009-03-01




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