ケータイ辞書JLogosロゴ 浅古(中世)


奈良県>桜井市

 鎌倉期から見える地名。十市郡のうち。多武峰【とうのみね】領。「勘仲記」弘安7年8月28日条に「今日興福寺衆徒発向多武峰,襲来四ケ郷内浅古・萩(荻)田等焼払云々」とある。弘安4年以来興福寺土打役の賦課をめぐって多武峰と興福寺は相論を続けていたが,多武峰衆徒らが抗議のため興福寺の末寺竜蓋寺(岡寺)を焼いたことから興福寺衆徒が蜂起,多武峰宮本の4か郷(高家・治道・椋橋・細川)を襲い当地も焼かれたという。当地は当時椋橋郷の一部をなしたらしい。下って戦国期の天文7年8月の護国院灯明御供大般若等田収納帳に「米六斗 アサコ 春道」,同13年6月16日付御供所惣田数帳に「一反〈アサコヤトタ〉作四斗代 アサコ 弥四郎」と当地の百姓らが見えている(談山神社文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7397736
最終更新日:2009-03-01




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