ケータイ辞書JLogosロゴ 葦田(古代)


奈良県>王寺町

平安期に見える地名葛下【かつげ】郡のうち片岡の葦田と連称される「延喜式」諸陵寮に,「片岡葦田墓」として「茅渟皇子在大和国葛下郡兆域東西五町南北五町無守戸」と見える茅渟皇子は敏達天皇の孫,皇極・孝徳両天皇の父「大和志」は馬見丘陵南端の築山古墳に比定するが確証はない「古事記」履中段に「葛城の曽都昆古の子,葦田宿禰」,「姓氏録」大和国未定雑姓に「葦田首」は「天麻比止津命の後なり」と見えるなお壬申の乱の際,将軍大伴吹負の軍は当麻【たいま】の街に至ると壱伎史韓国の軍に出会い,「葦池の側【ほとり】」で戦ったとある(天武紀元年7月癸巳是日条)「書紀通証」によると,葦池とは葦田池のことで「肩岡池」(推古紀15年是歳条)と同じ池とする正安4年の放光寺古今縁起(王寺町有文書/大和志料下)には,「葦田上池」「葦田中池」「葦田下池」が見える和歌には「片岡のあしたの原」と詠まれ,「朝の原」とあて紅葉・霞・若菜・郭公などの名所とされた(枕草子・古今集・拾遺集)現在の王寺町付近か
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7397745
最終更新日:2009-03-01




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