ケータイ辞書JLogosロゴ 飯貝(中世)


奈良県>吉野町

 室町期から見える地名。吉野郡のうち。文明19年8月8日付田地売券(楠山家文書/大和下市史資料編)によれば丹治の左衛門二郎が水田1段を才谷の衛門二郎に売却した際,当地住人の「イゝカイキヤウクワウ」が口入人となっている。また,享禄3年12月24日付渓雲庵領地子覚(同前)では才谷の寺院渓雲庵の所領に「飯貝クホ田」「飯貝内ナラヒノ畠」があった。文明8年春,蓮如が当地を訪れて一宇を建て,「吉野川ここ路とどまる河つらのすみても見はやここにいひがひ」と詠んだと伝えられる。明応5年には真宗寺院本善寺が創建された。同寺は下市願行寺と並んで吉野真宗教団の中心であり,上市御坊と称されたが,天文元年には天文一揆の余波で吉野金峰山寺の僧徒に焼討されたという。天正6年には織田信長の石山本願寺攻略にともない,筒井順慶が「上市・下市・イゝカイ以下」を焼いている(多聞院日記天正6年10月28日条)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7397852
最終更新日:2009-03-01




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