ケータイ辞書JLogosロゴ 五百家村(近世)


奈良県>御所市

 江戸期〜明治22年の村名。葛上【かつじょう】郡のうち。寛文年間〜元禄年間に小野(林)村から分村し,同村の枝郷。同時期に当村の枝郷僧堂村・船路村を分村。「元禄郷帳」ではイウカ,「大和志」ではイホカと訓注される。幕府領。村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに294石余。近世初頭から木綿の栽培が当地一帯で盛んになり,また菜種も栽培された。船路との境に高野山真言宗船宿寺がある。「町村誌集」によれば,明治15年頃の幅員は東西14町余・南北8町余,税地は田14町余・畑5反余・宅地1反余・山林20町余など,戸数25・人口138,牛6,寺院は船宿寺・焼地蔵,物産は米・裸麦・小麦・菜種など。同22年葛城村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7397862
最終更新日:2009-03-01




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