ケータイ辞書JLogosロゴ 市尾村(近世)


奈良県>高取町

 江戸期〜明治22年の村名。高市郡のうち。市ノ尾村とも書く(元禄郷帳・天保郷帳)。はじめ高取藩(677石余)と大納言(豊臣秀長)後室中島猪右衛門(200石)の相給,その後中島氏知行分は寛永16年郡山藩領,延宝7年幕府領,文政9年からは高取藩領となり,以後は当村全域が高取藩領。村高は,「慶長郷帳」「寛文郷帳」「元禄郷帳」ともに877石余,「天保郷帳」889石余。「大和志」に「市尾属邑二」とあり,属邑は曽羽・高井で,曽羽は高取藩領,高井は幕府領であった。寛延年間の地方蔵方寺尾勤録に見える高取藩領市尾村では天神・三十八社(曽羽・高井立会)・八幡宮(市尾)・如来寺(浄土宗)が除地,念仏寺(浄土宗)・西福寺(浄土宗)・道場(浄土真宗)が年貢地であった。天保年間の御領内高附では,市尾村の家数46,家持人数190,加増地の高井方は家数12,家持人数46とある(高取町史)。高井は,明治初年には南市尾村とも称し,「旧高旧領」に市尾村683石余と南市尾村200石とに分かれて見え,同10年両村が合併して再び市尾村一村となったともいう。同15年頃には,幅員は東西10町余・南北18町余,税地は田54町余・畑11町余・宅地3町余・山林27町余・藪5反余の総計97町余,戸数82・人口414,牡牛12,紀州街道が通り,天満宮・八幡神社・勝手神社・三十八社・如来寺があり,また市尾塚・鑵子塚がある(町村誌集)。同22年船倉村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7398000
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ