ケータイ辞書JLogosロゴ 岡崎村(近世)


奈良県>安堵町

 江戸期〜明治22年の村名。平群郡のうち。はじめ竜田藩領,寛永15年有馬直純内儀領(化粧料),慶安2年幕府領,寛文10年旗本溝口氏知行,天和2年からは幕府領。村高は,「慶長郷帳」331石余,「寛文郷帳」「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに368石余。寛保3年村明細帳によれば,家数63・人数203。文化10年の家数40・人数170。低湿地に集まった水は岡崎川となって西流し,御幸付近で大和川に注いでいるが,大雨のときには悪水が溜り,洪水や堤防の決壊が生じやすいところであった。奈良奉行溝口信勝(豊前守)が岡崎川を改修し,現在のように西流させたことから,毎年7月22日には妙楽寺で「豊前さん」という報恩行事がある。寛保3年明細帳によって農作物をみると,田方では稲毛・木綿,畑方では小麦・粟・黍などが植えつけられている(岡崎区有文書)。牛数は6。農間稼ぎは男は縄や莚などの藁加工品をつくり,女は苧かせ(奈良晒)を主としていた。嘉永3年岡崎村と窪田村との間に三ノ坪の伏越樋をめぐる紛争が起こった。社寺は子守神社・八王子神社・融通念仏宗妙楽寺。明治15年頃の村況は,田33町余・畑1町余・宅地1町余,戸数48(うち農35戸・商9戸など)・人口260(男125・女135),牛3,車5,物産は米78石余・小麦10石余・裸麦42石余・菜種6石余・藺1,600貫(町村誌集)。同22年安堵村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7398545
最終更新日:2009-03-01




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