ケータイ辞書JLogosロゴ 春日村(近世)


奈良県>山添村

 江戸期〜明治22年の村名。山辺郡のうち。畑郷15か村の1つ。旗本奥田氏(忠高系)知行。村高は,「慶長郷帳」271石余,「寛文郷帳」では畑村3,055石余のうちに含まれ,「元禄郷帳」273石余,「天保郷帳」272石余。領主の奥田氏は「寛政譜」によると,戦国末期に奥田三河守八郎右衛門(忠高)が松永久秀の麾下に属し,のち豊臣秀吉に畑郷を安堵され,関ケ原の戦後に徳川家康から本領である大和国山辺郡と紀伊国名草郡のうちで2,811石が与えられた。次の三郎右衛門(忠次)は大坂夏の陣で討死したが,3代半兵衛(忠一)はその父の功により跡目を継いで大和畑郷の采地に住した。居館は当村の城山にあり,旗本として江戸へ出仕後は当村に陣屋を設けて代官を置いた。江戸後期に春日陣屋が火事により焼失したため,代官川上氏は大西村字ヤシキに陣屋を移した。春日神社は畑郷15か村の郷社で,例祭は12月の申の日に行われる。また同社若宮社の例祭は10月16日で,芋雑炊がふるまわれるため芋祭・雑炊祭と呼ばれる。「大和志」に「木履 春日村造」とあり,当村の特産であった。明治15年頃の戸数57・人口259,税地は田23町余・畑27町余・宅地2町余・山地37町余の総計91町余,小学校・春日神社・不動院があり,特産は実綿80斤・菜種1石・茶7,800斤・楮皮30貫・酒30石(町村誌集)。同22年波多野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7398812
最終更新日:2009-03-01




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