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「北郷(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

北郷(中世)


戦国期に見える郷名吉野郡のうち新住宮前寺所蔵方便法身尊像の文亀3年3月15日付裏書に「勝林防門徒和州吉野郡北郷新住」とある(大和下市史)郷域は未詳であるが,江戸...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7399153]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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北郷(中世)

鎌倉期から見える地名日向国諸県【もろかた】郡のうち建久8年6月の「日向国図田帳写」には,島津荘一円荘のうちに北郷300町が見え,地頭は島津忠久である現在の北諸県郡山田・高崎両町と都城市の一部がこれにあたる建武元年5月10日源某書下案によれば,「島津庄日向方北郷宮丸名内富永・成清」の地をめぐって,富山快実と富山義恒の間に所領相論があり,建武政権側とみられる文書発給者は,義恒が所領を押領したとする快実の訴えを容認して,父覚成から快実へと譲られたことを認め,この地を安堵しているその後,南北朝末期の応安8年3月11日島津氏久挙状によれば,この地は富山義弘が相伝しており,島津氏久はその安堵を京都に上申していることが知られる(以上,富山文書/日向古文書集成)一方,北郷の地頭職についてみると,文和2年2月1日,九州探題一色範氏は島津氏久に北郷地頭職を宛行ったが,文和3年8月25日,範氏は氏久に北郷の地の替わりとして薩摩国東郷蔵人跡と一族跡の地頭職を宛行っている氏久の替わりに北郷を宛行われたのは,文和4年3月日島津氏久申状により北郷資忠であったとわかる(以上,島津家文書/大日古・旧記雑録前1)この頃,島津荘北郷の領家職は,延文4年11月14日,北朝方の日向国国大将で観応擾乱後は足利直冬方として活動した畠山義顕が相良定義に宛行っており,相良氏勢力の伸張がみられる(相良家文書/日向古文書集成)一方,北郷資忠は,貞治3年7月25日,樺山音久に北郷3分の1を譲り,貞治4年閏9月26日,北郷北方内の宮丸名8町7反の村々は,島津氏久から樺山氏に安堵されているその後,島津元久は,明徳5年4月7日,樺山音久に対して北郷宮丸名を安堵し,北郷北方内後交村椎屋跡,野々三谷寺跡の水田5町を給分として宛行っているこうしたなかで,応永11年11月10日,樺山氏は息長為幸の北郷千代童名内山本と布別符の地を質地として確保しており,北郷の地は島津氏庶流北郷・樺山氏による基盤づくりが進行していたことをうかがわせるそして,島津久豊は,応永18年閏10月25日,北郷3分の1と宮丸名を樺山氏に安堵されており,樺山氏への島津氏の守護段銭賦課の基礎となる田数は,北郷では33町8反前後であったことがわかる(以上,樺山文書/日向古文書集成・旧記雑録前2)

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

北郷(中世)
鎌倉期~南北朝期に見える郷名阿蘇郡のうち元徳2年正月14日の造営料木第三箇度切符写(阿蘇文書/大日古13‐1)に「合 北郷分」とあり,当郷内として「南坂梨子」「大山寺 浄土寺」「北坂梨子」「赤丹田」「古宇津」「田崎・大豆札」「野中」「阿蘇品」「上竹原」「下竹原」「手野」「井手」「倉原」「小倉」「隈崎」「河口」「小里」「小野田 山田 上井手」「岩坂」「宇歩山」「苅尾」「松木」の諸郷が記されているこれらの地名から,鎌倉期の当郷は,現在の阿蘇谷地域全域とその周辺の外輪山を含むものであったと考えられ,当時の阿蘇郡は北郷と南郷の2つに分けられていたことがわかる下って,建武3年3月11日の阿蘇社領郷村注文写(同前)には,渋河兵庫助沙汰分として,「野中郷」「赤丹郷〈原尻〉」「大門郷」「阿蘇品郷」「隈崎郷」「井手郷」「小野田〈下山田・北薗・河島方・上井手〉郷」の7郷と,「狩集村」「牛峯村」「金凝神護寺」「産山村」「山鹿村」「山田寺村」の6か村とされているこれは南北朝期に東郷・西郷が当郷より分離・独立したためと考えられる下って正平17年11月28日の阿蘇山衆徒等料足日記写(同前/大日古13‐2)によれば,本堂修理の時の費用は「北郷竹原領家御年貢〈五ケ年御寄進付大小釘〉」から出すことになっていたまた同19年7月10日の恵良惟澄譲状写(同前)によると,庶子別当丸に「北郷上竹原〈当時庵室禅尼知行分〉」などを譲っている異筆で正平23年の註記のある3月10日の時能書状(西巌殿寺文書/大日古13‐3)には「北郷井手本生方護摩供料事」とある...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

北郷(中世)
鎌倉末期~戦国期に見える郷名摂津国豊島【てしま】・島下両郡のうち春日社領垂水西牧のうち原田郷・萱野郷を北郷,桜井郷・榎坂郷を南郷と称し,社家はそれぞれに牧務職をおいた唐院古文書写(大乗院文書/吹田市史4)所収年欠4月13日の祐仲・師種連署書状などによると,当郷牧務職は代々社家神宮の中東家が相伝していた初見は「祐臣記」文保2年8月11日条(吹田市史4)に「神人末延〈北郷〉可出之由」とあるもので,春日社権神主経清が神人末延に,北郷から調布を出させている「雑事記」寛正2年6月1日条によると,これ以前に牧務職は中東氏から興福寺学侶方に移っていたことがわかるが,「蓮成院記録」(多聞院日記5)延徳3年卯月条や,先の唐院古文書写所収の年欠卯月13日の中東時就書状によると,この数年前から牧務職は興福寺真正院が実際に知行していた延徳年間には中東時就が代々の証文などを提出し,同職に還補されたとあるが,以後の経過は不明また「多聞院日記」天文2年9月条によると,南郷と北郷は毎月の春日社日並供御を15日間ずつ分担していたが,毎月1日から5日は萱野郷が,11日から20日は原田郷がそれぞれ負担していたことが見えるなお,この頃,萱野郷は高橋某に押領されていた模様である...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

北郷(中世)
鎌倉末期~戦国期に見える郷名摂津国豊島【てしま】・島下両郡のうち春日社領垂水西牧のうち原田郷・萱野郷を北郷,桜井郷・榎坂郷を南郷と称し,社家はそれぞれに牧務職をおいた唐院古文書写(大乗院文書/吹田市史4)所収年欠4月13日の祐仲・師種連署書状などによると,当郷牧務職は代々社家神宮の中東家が相伝していた初見は「祐臣記」文保2年8月11日条(吹田市史4)に「神人末延〈北郷〉可出之由」とあるもので,春日社権神主経清が神人末延に,北郷から調布を出させている「雑事記」寛正2年6月1日条によると,これ以前に牧務職は中東氏から興福寺学侶方に移っていたことがわかるが,「蓮成院記録」(多聞院日記5)延徳3年卯月条や,先の唐院古文書写所収の年欠卯月13日の中東時就書状によると,この数年前から牧務職は興福寺真正院が実際に知行していた延徳年間には中東時就が代々の証文などを提出し,同職に還補されたとあるが,以後の経過は不明また「多聞院日記」天文2年9月条によると,南郷と北郷は毎月の春日社日並供御を15日間ずつ分担していたが,毎月1日から5日は萱野郷が,11日から20日は原田郷がそれぞれ負担していたことが見えるなお,この頃,萱野郷は高橋某に押領されていた模様である...

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北郷(中世)
 戦国期に見える郷名...

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北郷(中世)
戦国期に見える郷名吉野郡のうち新住宮前寺所蔵方便法身尊像の文亀3年3月15日付裏書に「勝林防門徒和州吉野郡北郷新住」とある(大和下市史)郷域は未詳であるが,江戸期の「大和志」などによれば,新住・芦原・持尾・下淵・今木・大岩・岩壺・鉾立・矢走【やばせ】・畑谷・馬佐・檜垣本【ひがいもと】・薬水の13か村を北荘と称したというこれは現在の大淀町と下市町の一部にあたる...

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北郷(中世)
室町期に見える郷名安積【あさか】郡のうち室町期頃と推定される安積南郷北郷田地注文に「北郷」が見え,岩倉・上飯津嶋・下飯津嶋・角津嶋・女子嶋・前田河・安積宿・早田宿など8か村,36町6反の田地が含まれていた(相殿八幡神社文書/県史7)同注文に記されている村々の田地は安積伊東氏の所領と推定される中通り中部,現在の郡山市北部喜久田町地区一帯に比定される...

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