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- 黒木村(近世)とは
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![]() | 黒木村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 黒木村(近世) 江戸期の村名杵島【きしま】郡のうち白石【しろいし】平野西部に位置する佐賀本藩領須古郷に属す村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ともに604石余,「天保郷帳」では737石余,「旧高旧領」には見えない「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」ではともに上黒木村・下黒木村とあり,上黒木村の小村に田中村がある近世初頭竜造寺信周が須古城に居を構えて以来,須古鍋島氏の知行地となる給人・地米高は,「玄梁院様配分帳」では鍋島市兵衛が上黒木村154石余・下黒木村149石余,「大小配分石高帳」では鍋島安房が上黒木村154石余・下黒木村149石余を知行初代藩主鍋島直茂の帰依を受け馬洗【もうらい】村に光明寺を建立した法誉上人は,当村のうちに1反1畝の敷地を拝領して法蔵寺を建て隠居所としたという(光明寺由来記)「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ではともに上黒木村・下黒木村として馬洗村の枝村に見える... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 黒木村(近世) 江戸期~明治20年の村名豊前国田川郡のうち中元寺川上流域に位置するもとは安宅村・荒平村とともに一村であった小倉藩領猪膝手永に属す村高は,宝永7年の田川郡村々万覚書によれば31石余,ほかに竈数9・人数49嘉永5年の家数12・人数61,馬1・牛7明治初年の産物は穀物30石・麦11石・葉烟草16斤・楮皮700斤・葛粉5石明治20年安真木【あまぎ】村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」