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小山荘(中世)


 鎌倉期から見える荘園名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7399642]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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小山荘(中世)

鎌倉期~戦国期に見える荘園名都賀郡のうち思川流域に立地する小山荘は,古代の小山郷を中心にその北側一帯,南は寒川郡のうち真木郷・奴宜郷にあたる地域から成り立っていたこのうち,寒川郡の奴宜郷など思川東岸の部分は寒河御厨として発足したが,鎌倉中期には小山氏相伝所領である小山郷と一体化して,寒河御厨は小山荘と称されたすなわち,これは御厨と荘園が複合したもので,足利荘と簗田御厨の場合と類似している小山荘は中央を思川が南北に貫流し,その流域やその他の水系の流域に発達した多くの郷村を含む下野国内でも有数の肥沃地帯を占めている東は結城領と,西は中世の寒川郡と境を接し,下野国衙の在庁官人から成長した小山氏の経済的基盤であった寛喜2年2月20日に小山朝政が孫の長村に譲渡した所領の最初に「権大介軄 寒河御厨〈号小山庄,重代屋敷也〉」と見える(小山文書/県史中世1)寒河御厨は,平安末期に寒川郡のうち奴宜郷など思川東岸の部分が後白河院に寄進され,さらに長日御幣を供進するため永万2年伊勢神宮の内宮・外宮に院庁下文によって寄進され成立した(神宮文庫所蔵文書/県史中世4)南北朝期の延文5年に成立したといわれる荒木田氏経本「神凰鈔」には具体的に,180町の水田分として御幣紙360帖を納め,鎌倉中期の建暦3年に院庁下文により「一向(一円)神領」となったと記されている(群書1)おそらくこの時期が,寒河御厨と小山荘が完全に一体化し,御厨の部分が小山荘の部分に拡大,均質化していった時期であろうそれぞれ別に出発した寒河御厨と小山荘が,この時期には混然一体のものとなり,伊勢神宮への上分物が全体の郷に割り当てられる仕組となっていたのであろう一方,小山氏は下野国権大介という在地国司の最高位者として国務を執行していた小山氏は下野国司の職を先祖の藤成以来,小山長村(朝政の孫)まで16代,下野国の検断権(押領使)は,豊沢から始め,藤原秀郷からでも小山朝政まで13代相伝してきたと豪語している(吾妻鏡)くらい,下野の国衙機構と密着して在地に根をおろしてきた国衙の縁辺にも所領を持ち,また東に位置し,小山荘の中心となる広域の小山郷は小山氏が国司として与えられた所領であったと思われる小山氏は小山郷を基盤として寒川郡の東半部に開発などを行い勢力を浸透させ,この地を院に寄進し寒河荘としたさらに院の寄進によって寒河荘は寒川御厨に転化していったそして,鎌倉中期に寒河御厨の部分が小山荘の部分に拡大することによって,小山荘全体が伊勢神領化していった小山荘を構成する郷村名は,建武4年7月9日の茂木知政軍忠状に,「小山庄内乙妻・真々田両郷」(茂木文書/県史中世2),元中7年11月28日の鎌倉公方足利基氏御判御教書に「小山庄小薬郷」(皆川文書/県史中世1),応永12年12月27日の彦八願文に,「小山庄嶋田郷・来本郷」(米良文書/県史中世4),文明9年8月20日の法華経奥書に「小山庄村崎」(下野古文書集解/大日料8-10),明応3年4月11日の小山成長安堵状に,「小山庄野田郷」(青木文書/県史中世1)などが見える下って,戦国期の天文5年に作成された伊勢役銭算用状(佐八文書/県史中世3)によると,寒河御厨(小山荘)の村々は,上郷分北部・下郷分・上郷分南部に三分されている上郷分北部は思川の両岸で,北は老沼・紫,東は鉢形・萱橋,南は立木,西は福富・卒島などの範囲で,小山(祇園)城の北側の部分である下郷分は西岸に萩島・塩沢・上間中・下間中などあるが,ほとんどは東岸地域で,小山城の南に位置し,東は中久喜・横倉,南は間々田・野田に至る中心に鷲城や安房神社,小山氏のものと推定され,神鳥谷の「曲輪」といわれる約2町4方の巨大館跡があるおそらくこの上郷分北部と下郷分は,旧来の小山郷の部分と想定されるこれに対して上郷分南部は,寒川郡の御厨となった部分と考えられ,すべて思川の東岸地域で,北は乙女,南は野木・上大堤・下大堤,東は武井にわたるなぜこの地域が上郷分とされているか不明だが,何らかの支配関係の歴史的経過によるものと思われる寒河御厨・小山荘は,南北朝末期の小山義政の乱により一時的滅亡はあったが,鎌倉期~戦国期までの中世を通じて小山氏の根本所領としてその政治的・経済的な基盤となった思川の河岸段丘上には,北から祇園城・長沼城・鷲城の城郭群,東の中久喜城などが築かれている現在の小山市・国分寺町・野木町のほぼ全域に比定される

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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