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- 佐伯荘(古代~中世)とは
「佐伯荘(古代~中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 佐伯荘(古代~中世)
平安期~鎌倉期に見える荘園名広瀬郡のうち城下郡の佐伯荘と区別するために西佐伯荘ともいった興福寺雑役免(進官免)荘園延久2年の雑役免帳に「佐伯庄田畠三町四段百八十...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7399696]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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佐伯荘(古代~中世) 平安期~鎌倉期に見える荘園名城下郡西郷のうち興福寺雑役免(進官免)荘園延久2年の雑役免帳に「佐伯庄十五町四段」とある公田畠15町2段・不輸租田2段からなり,不輸租田はすべて左馬寮田荘田は城下郡西郷11条6里,12条5・6里の19か坪と同13条1~3里の16か坪の2か所に分布したこの坪付は現在の川西町保田と三宅町三河付近にあたる正治2年(弘安8年写)の維摩会不足米餅等定(興福寺文書/鎌遺15590)には「本佐伯庄米三石七斗……餅百四十八枚」「仲佐伯庄米二石四斗……餅九十六枚」と見え,興福寺維摩会の用途を賦課されている |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
佐伯荘(古代~中世) 平安期~鎌倉期に見える荘園名広瀬郡のうち城下郡の佐伯荘と区別するために西佐伯荘ともいった興福寺雑役免(進官免)荘園延久2年の雑役免帳に「佐伯庄田畠三町四段百八十歩」とある荘田はすべて公田畠からなり,広瀬郡13条2名成里・3里,14条3・4里の計12か坪にわたって散在・分布したこの坪付は現在の河合町長楽・広陵町沢のうちにあたる正治2年(弘安8年写)の維摩会不足米餅等定(興福寺文書/鎌遺15590)には「西佐伯庄米二石四斗……餅九十六枚」と見え,興福寺維摩会の用途を賦課されている... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」