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下市村(近世)


 江戸期~明治22年の村名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7399970]
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角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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下市村(近世)

 江戸期~明治22年の村名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

下市村(近世)
江戸期~明治9年の村名阿蘇郡のうち阿蘇南郷谷,御竈門山南麓の白川上流右岸に位置する江戸末期までに上中村から分村して成立地名の由来は,東に隣接する吉田村の城跡付近に古市という小名が残ることから,その下手の市場の意によると思われる熊本藩領村高は「旧高旧領」602石余高森手永に属す「南郷事蹟考」では,高584石余,当村は,昔,阿蘇山繁盛の時は豆腐町と称したと伝え,小村に畠ケ中村・牟田(無田)村が見える(肥後国誌)細川家侍帳によると,当村における藩士知行地は里文太郎正隆150石・八木市郎左衛門81石余・長岡愚隠忠重200石・鎌田半兵衛正幸150石・西山氏政206石余・堀七郎兵衛150石余(肥後読史総覧)当地の南西,白川端に鎮座する祇園社(八坂神社)は当村と下積・上中・下中・西中・松木・上久木野の7か村の氏神で,かつては広大な社領を有する南郷の総鎮守とされ,素戔嗚尊・稲田姫命を主神とし,もとは西方北山の地にあったが,朱鳥2年の大洪水で流され,その後現在地に遷座したと伝える現社殿は元禄8年の造営という(阿蘇郡誌)浄土真宗本願寺派徳正寺は,中村城(壇城)城主伯耆守惟冬の孫与左衛門が仏門に入って了順と号し,寛永12年本願寺に徳正寺の寺号を申請して当地に建立,同17年寺号札の許可を得て正式に徳正寺と称した明治2年落雷で本堂・鐘楼門などを焼失,同19年本堂再建熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属明治初期下市小学校開設明治6年の後藤基行覚書(一の宮町岩下氏蔵文書)によると,戸数78,人口は男187・女182同9年一関村の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

下市村(近世)
江戸期~明治前期の村名豊前国宇佐郡のうち安心院【あじむ】盆地の北部,深見川の南岸に位置する天正15年黒田領,慶長5年中津藩(のち小倉藩)細川領,寛永9年松平重直領,正保2年幕府領,寛文5~6年肥後熊本藩の預地,寛文9年肥前島原藩松平領,寛延3年同戸田領,安永4年からは同松平領山蔵【やまぞう】組に所属中世は地頭屋敷の下手【しもて】にあたり,ここに市が移されてから下市と呼ばれるようになったという(安心院町誌)元和年間に市の開催をめぐって上市村との間で争論が起こるが(山上文書・佐藤文書),上市村に市の開催権が与えられた(山上文書)元和8年には中山手永に属し,村高666石余,家数48・人数212,牛22・馬11(小倉藩人畜改帳)「元禄石高帳」と寛政4年高田陣屋支配石高ではともに406石余,「天保郷帳」421石余,「旧高旧領」432石余文化9年の宇佐郡大一揆には当村も蜂起し,鎮圧後首謀者格であった甚五郎と九右衛門が入墨追放に処せられた(安心院町誌)三女神社,曹洞宗最明寺がある明治4年小倉県,同9年福岡県,同年大分県に所属明治8年安心院郵便局開局同12年の戸数95・人口493,物産は米・麦・甘藷(共武政表)同17年南毛村・原村・飯田村・新原村・木裳【きのも】村・庄村・上正村・戸方村と連合(県町村沿革誌)明治17年から22年の間に南毛村と合併し下毛村となる現在の宇佐郡安心院町大字下毛のうち...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

下市村(近世)
江戸期~明治7年の村名豊田郡のうち坂本郷に属す下市浦ともいう財田川下流域の平地に位置する享徳元年閏8月15日記の琴弾八幡宮放生会祭式配役記(香川叢書)に,「惣集の役者之事」として下市の四郎左衛門が小鼓の役をうけもっているはじめ生駒氏領,寛永18年丸亀藩(山崎氏)領,万治元年丸亀藩(京極氏)領村高は,「寛文4年高辻帳」の朱印高275石余・今高389石余,元禄年間416石余うち過半数が観音寺中への入作,「延享年間高辻帳」275石余(ほかに新田并改出30石余),「天保郷帳」482石余,「西讃府志」「旧高旧領」ともに416石余元禄年間の家数130・人数708,加子6,船17「西讃府志」によれば,村の広さは東西150間・南北106間,丸亀から6里10町,隣村は東に酒屋町,南に鍛冶分,西に中洲,北に寺家,耕地(反別)は37町余,うち畑1町余・屋敷34町余,貢租は米238石余・大麦1石余・小麦8斗余・大豆4石余,戸数172・人口570(男287・女283),牛2,神祠は荒神祠・弁天祠・崇徳天皇祠・蛭子祠・幢中明神祠,仏寺は浄土宗福聚山専念寺・禅宗高照山芦峰寺,橋1明治4年丸亀県,同年香川県,同6年名東【みようとう】県に所属同7年観音寺村の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

下市村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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下市村(近世)
江戸期~明治10年の村名伯耆【ほうき】国八橋【やばせ】郡のうち勝田川下流右岸の沖積平地に位置し,北は日本海に面す鳥取藩領村高は,拝領高138石余,「元禄郷村帳」138石余,「元文2年村分帳」148石,「天保郷帳」200石余(うち新田高61石余),「元治郷村帳」212石余,「旧高旧領」215石余元禄の本免は4.1,「元治郷村帳」の物成は82石余戸口は,「元文2年村分帳」28戸,文久2年「八橋郡手引鑑」37戸・184人,「文久3年組合帳」35戸鎮守は素盞嗚命を祀る下市神社で,明治元年に湯坂村の葦原神社に合祀しようとしたが,強い反対にあって取りやめになった明治4年鳥取県,同9年島根県に所属同10年向原【むかいはら】村と合併して八幡【やわた】村となる...

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下市村(近世)
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