ケータイ辞書JLogosロゴ 寺崎(中世)


奈良県>高取町

 室町期から見える地名。高市郡のうち。寛正6年の将軍御下向寺門段銭帳(成簣堂大乗院文書)に「寺崎」とあり,大乗院門跡から段銭を賦課されている。当地の貝吹山には,国衆越智氏によって越智城(現高取町越智)の詰城が築かれ,同氏の国中経略上の拠点となった。「多聞院日記」天文15年9月25日条に「今暁筒井ヨリ惣勢ヲ出シ,越智へ被懸了……貝吹ノ城并ヲキ田ノ城ヲ持云々」とある。この時筒井順昭の攻勢を受けて落城。順昭は嘉幡・高田・八条らの与力衆を当城に入れ,翌10月に陣を払っている(多聞院日記天文15年10月10日条)。その後越智方は天文18年・弘治3年と奪回を試みたが,敗退(高取町史)。永禄年間松永久秀が大和を制圧すると,一時その支配下に入ったが,永禄9年越智伊与守家益が入城した。松永方は同11年12月に当城で合戦,翌12年には越智一族の越智民部少輔家高を味方として当城を攻めたため,同年11月には落城している(多聞院日記永禄9年正月15日・11年12月8日・12年5月10日・12年11月4日条,織田文書永禄12年11月5日久秀書状/大日料10‐2)。現在貝吹山頂に郭・土塁の遺構が残る(日本城郭大系10)。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7400882
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ