ケータイ辞書JLogosロゴ 箸中(古代〜


奈良県>桜井市

 平安期から見える地名。城上郡のうち。“な菫。春日社夕御供料所。永享8年の旬及夕御供催進記録(大東家文書/春日大社文書6)に毎月26〜28日の夕御供料所として「箸墓庄〈皆損〉」と見える。室町期にはすでに退転していたらしい。箸中。当地内には大乗院門跡領小大田荘田があった。このため同荘を箸中小大田荘・箸中荘とも称している(寺社雑事記応仁2年10月21日条・三箇院家抄1)。「寺社雑事記」文明19年5月24日条には「院入庄以下岩田郷与小大田庄以下箸中庄(郷カ)井手相論事在之」とある。小大田荘を含む当地の田地は穴師川(穴瀬川・巻向川)に井堰を設けて灌漑用水を取っていた。この井堰は隣接の院入(岩田)荘と共同で知行し余水を院入にまで流す慣例となっていたが,文明19年には井堰をめぐる相論が起こり,大乗院門跡では国民越智氏被官戒重氏に命じて仲介させたが落着せず,長享3年には三輪明神が岩田・箸中を戒重氏は知行すべからずと託宣したという(寺社雑事記長享3年2月14日条など)。当地には大乗院門跡に属する餳粽【あめちまき】座があった。「寺社雑事記」長禄3年5月28日条に「アメチマキ〈箸ノツカ〉」と見える。当座は三輪座ともいい,座衆は門跡に公事を勤める一方,三輪明神の大鳥居以南,長谷川の大橋以北の一帯でアメチマキを販売した(天文之記/内閣大乗院文書)。同じく飴を売る苅荘煎米座としばしば相論,永正11年には国民十市氏被官の「箸中ニ住サイモ太郎男」という者が煎米座に無断でアメ売りをしたため大乗院門跡に訴えられている(永正年中記/大日料9‐5)。また「吉野詣記」(群書18)には「このところのはしづかとして,名あるものなるよし申して,寒食のあめ,端午の粽とりぐしたるものさし出でて」とあり,天文22年三条西公条は吉野参詣の途次に三輪明神で当地の飴・粽を賞味している。「三十二番職人歌合」にも「手ごとにぞとるはしつかの糖ちまき花をもみわの昼の休みに」とある。天正8年織田信長に提出された大乗院家御知行分帳(広大大乗院文書)には三輪郷のうちとして「箸中領」とあり,田数1町7段5反切,分米8石5斗が記されている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7401584
最終更新日:2009-03-01




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