ケータイ辞書JLogosロゴ 波多杣(古代)


奈良県>月ケ瀬村

 奈良期から見える杣名。山辺郡のうち。大安寺領。天平19年の大安寺資財帳(寧遺中)は大和国の大安寺領5か所の1つに「山辺郡波多蘇麻(杣)」があったことを伝える。波多の地名は平安期には東大寺領板蠅杣の四至に「北限同名張河并八多高峰」と見え(東大寺文書康保元年9月25日付板蠅杣四至紕繆記案/平遺280),同杣の北堺をなした。この高峰は現在の山添村中峰山【ちゆうむざん】付近から神野山にかけての山嶺であると考えられる(黒田庄誌)。この板蠅杣の北堺はこれ以降も継承され,長元年間に偽作された天平勝宝7年12月28日付孝謙天皇板蠅杣勅施入文案(東大寺文書/寧遺下)には「北限八多前高峰并鏡滝」とある。平安末期には大安寺領杣は顛倒し当地は藤井荘に包含され,「今号藤井御庄者,即波多村是也」といわれた(同前長寛3年4月日付東大寺三綱等陳状案/平遺3835・3349)。藤井荘は広瀬牧を基盤として発展した荘園で春日社負所であり,広瀬牧領主の後継者が領家職を相伝していたが,やがて大乗院門跡との関係からその寄所となった。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7401611
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ