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- 牧村(中世)とは
「牧村(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 牧村(中世) 鎌倉期~戦国期に見える村名越前国坂北郡坪江郷のうち河口荘綿両目等事に載せる永仁5年2月の坪江下郷検注目録に,「牧村〈卅九丁九反六十歩〉 給人在之」と見える(北国庄園史料)建武2年正月26日の河口荘乱入悪行狼藉人交名には「同所(坪江上郷)牧村名主 中村春菊左衛門入道」とある(大乗院文書/小浜・敦賀・三国湊史料)大乗院尋尊筆の坪江下郷三国湊年貢夫役等事の牧村の項によると,本田13町9反60歩,出田5反半,新田27町3反大からなる所領で,米190石余,御服385両余,銭26貫文余,その他細々済物を毎年負担していた(北国庄園史料)大乗院門跡領として重要で,記録には牧村からの収入に関する記事がよくみられる「経覚私要鈔」文安4年9月22日条によると,代官狩野彦六が年貢を無沙汰しているまた「大乗院寺社雑事記」長禄2年8月19日条によれば,代官は松波三河入道に替えられ,門跡の収入は銭50貫文,綿1屯であった同書寛正6年11月10日条には牧村の代官職を二宮弥三郎が所望した由が見えるなお,前述の坪江下郷三国湊年貢夫役等事の牧村の項に「牧士給請料」「牧馬ノ口料」などと見え,地名が牧に由来することをうかがわせる同項には「加池上定」「城谷新田」「並松」とも記され,牧村は現芦原【あわら】町北潟の西部の赤尾を除く広範な地に比定され,三国町池上が離れてはいるが含まれていた(芦原町史) |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 牧村(中世) 鎌倉期から見える村名飛騨国大野郡河上荘(郷)のうち永仁5年11月23日付の長滝寺権別当印超田畠充行状に初見(経聞坊文書)同文書によれば,「河上郷牧村内貞清名在家田畠」が法橋聖恵に宛行われているが,貞清名は宗弘なる者の相伝の地で,いったん売却され,「関東御新制」(永仁徳政令)によって返却され,宗弘の避状によって聖恵に宛行われたものであった法橋聖恵はこのころ「河上郷下本内荒気広野上下」の開発担当者として「楓軒文書纂」所収の「長滝寺文書」にも見えるが,宗弘との関係は未詳その後,文安6年河上荘牧の住人栗原衛門が,同じく牧の住人佐藤四郎に「兄弟之けいやく」によって田畑を譲っている(了徳寺文書)栗原衛門は当地に鎮座した栗原社の社人であったという(後風土記)牧村は漆洞山(1,320m)の東麓に発する川上【かわかみ】川支流牧谷【まきだに】川流域の谷戸一帯で,江戸期以降牧ケ洞【まきがほら】となった... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 牧村(中世) 室町期~戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 牧村(中世) 南北朝期に見える村名備前国津高郡のうち康永元年6月28日の年紀を有する備前国一宮社法(吉備津彦神社文書)に「まき村上下」と見えるなお貞治3年2月3日の葛木次郎左衛門掟書写(黄薇古簡集)に「上牧・下牧の峰」と地名で見える江戸期の中牧村・下牧村,現在の御津町中牧・岡山市中牧・下牧付近に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 牧村(中世) 織豊期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 牧村(中世) 室町期に見える村名... |
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