- JLogos検索辞書>
- 三室村(近世)とは
「三室村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
![]() | 三室村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 三室村(近世) 江戸期~明治8年の村名山城国宇治郡のうち三室戸寺村,三室戸村とも見える(正保村高帳・享保村名帳)宇治川右岸沿いに位置し,地内東方に明星山(233m)がある元和9年から禁裏御料村高は「正保村高帳」「享保村名帳」が341石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」は371石余当村東の志津川村も禁裏新御料で,当村との高の和が511石余に定められ,年貢免状が両村合同で出されるなど両村で1つの行政単位のような形態をとっていた(宇治市史)神が宿る神籬とされた山や森を御室と呼び,地内東方の明星山はその御室の山として信仰されたという(同前)その明星山に天台宗聖護院末三室戸寺がある宝亀年間光仁天皇が御室を移し大安行表を開基として御室戸寺の勅号を与えたその後焼亡,寛平年間三井寺智証大師,康和年間三井寺隆明僧正が中興,天正元年足利義昭に味方したため織田信長が寺領没収,江戸期に入り明和年間忍与が再建を始め,安政年間修造がなされたといい(宇治郡誌),西国三十三か所観音巡礼の札所であった同寺境内に十八神社・新羅神社などがある当村の産土神十八神社はもと大和三輪山の三神を祀り三室(御諸)神社と称したといい,智證または隆明中興の時山王信仰にまつわる15神を合祀して十八神社と改称,明治6年神仏分離政策により一時廃社となったが翌年大物主命・熊野樟日命・手力雄命のみを祭神として復活(宇治郡誌・宇治市史)新羅神社は康和元年隆明が仏法護持の神新羅明神を勧請したものと伝え,江戸期には神仏習合思想により素盞嗚尊を祀ると考えられていたという(宇治市史)なお同社は明治12年に大鳳寺厳島神社へ遷座された寺院に浄土宗安養寺末念仏寺がある明治元年京都府に所属同5年の戸数41(市町村合併史)同年,当村ほか五ケ庄・大鳳寺・木幡・志津川・池尾・二尾の7か村連合による宇治郡第四小学校(宇治校)開校同8年菟道【うじ】村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 三室村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」