ケータイ辞書JLogosロゴ 与楽村(近世)


奈良県>高取町

 江戸期〜明治22年の村名。高市郡のうち。高取藩領。村高は,「慶長郷帳」390石,「寛文郷帳」「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに391石余。寛延年間の地方蔵方寺尾勤録では,鎮守牛頭天皇・慈眼寺(真言宗)が除地,与楽寺(浄土真宗)が年貢地である。宗門人別帳によれば,文化6年47軒・211人,万延元年45軒・259人(吉川家文書)。文化7年人別御改帳では,江戸奉公人2・御中間1・鍛冶屋1・大工1・綿打屋1・口銭屋1・質屋1・百姓39の総計47軒からなる(同前)。明治15年頃には,幅員は東西8町余・南北13町余,税地は田25町余・畑9町余・宅地1町余・藪1反余・山林26町余の総計63町余,戸数51・人口265,牡牛12,牛頭天皇・慈眼寺・与楽寺,公立小学校があり,古跡として貝吹城跡とある(町村誌集)。同22年越智岡村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7402882
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ