ケータイ辞書JLogosロゴ 東雨村(近世)


和歌山県>串本町

江戸期〜明治9年の村名牟婁【むろ】郡のうち高富川河口西方に位置し,南は太平洋に面する地名の由来について,寛政年間の「熊野巡覧記」は「俗伝に空海四国より此所に来り,雨に逢ひ草庵に入て雨を避けて西より東へ来られし故東雨の名有」と伝えている(紀南郷土叢書8)和歌山藩領御蔵所村高は,慶長検地高目録では「高浜東女村」と見え28石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに29石余慶長16年8月16日の加子米究帳(栗本家文書)では「あつまミたかはま」と見え,水主役数6・代納升高7石余慶安3年の古座組在々郷組之次第(古座町教育委員会保管文書)によると家数3軒・人数5,船1「続風土記」によれば,家数4軒・人数15,神社は二部村の鎮守社を氏神とし,寺院には禅宗虎関派海門庵があった海岸部を熊野街道(大辺路【おおへち】)が通過しており,「続風土記」には「村領の内海浜の往還に通り穴という岩穴ありて其穴をくゝりて往来す」とある明治4年和歌山県に所属同6年には戸数10,男28・女18同9年高富村の一部となるなお「高富村誌」によれば明治10年には,当村域の戸数11,田1町余・畑1町余と見える
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7403112
最終更新日:2009-03-01




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