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和歌山県>花園村

 南北朝期〜戦国期に見える村名。伊都【いと】郡のうちと思われるが,在田【ありだ】郡のうちとする説もある。正平14年12月17日の花園下荘預所下知状(中南区有文書/県史中世2)に「□(花)薗下庄内新村」と見え,当村が高野山領花園下荘内であることがわかる。また,文中3年正月15日の虎松女山地売渡状(同前)に「合一所者,アサナ花薗下庄 アタラシニシノモリノヒカシサムヤ」と見え,虎松女が先祖相伝の地を少納言殿なる者に売り渡している。下って室町期の延徳4年12月1日の頼母子講衆契状(同前)に「アタラシヤ」と見え,頼母子講の存在がしられる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7403121
最終更新日:2009-03-01




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