ケータイ辞書JLogosロゴ 筏立(中世)


和歌山県>金屋町

鎌倉期に見える地名在田【ありだ】郡石垣荘のうち明恵紀州遺跡の1つの率都婆がある地名の由来は,この地域の材木を有田川から下流へ運搬する際の集散地であったことによるという嘉禎2年8月7日の高弁遺跡率堵婆銘注文(施無畏寺文書/県史中世2)に「筏立〈石垣庄河北ニ在之〉」とあるのが初見建長5年3月日の明恵上人紀州所々遺跡注文(同前)・「高山寺縁起」(続群27上)や暦応4年5月8日の高山寺明恵上人行状(紀伊国阿氐河荘史料1)などによれば,建久9年の秋ごろ湯浅宗光が石垣荘の奥,人里を去ること20町ばかりの所に草庵を構えて明恵を招き,その地を筏立と称したという江戸期の歓喜寺村に筏立山があり,現在の金屋町歓喜寺の小字筏立に比定される
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7403216
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ