ケータイ辞書JLogosロゴ 出雲(近代)


和歌山県>串本町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ潮岬村,昭和30年からは串本町の大字。明治24年には東西2町・南北30間,戸数138,男378・女384,学校1,小船85。同36年出雲漁業組合創立。海産物は鰹・鮪・鰯・鯖・秋刀魚・目近・鰺・鰘・エビなど(大正14年度出雲漁獲物売揚表)。明治中期以降,海外移民者が増加,海外渡航者は明治期に100余名,大正期には80数名にのぼっている。昭和9年には第一図南丸が出雲港から直接オーストラリア北岸のアラフラ海へ出漁(採貝事業)し,アラフラ景気をもたらした。昭和7年出雲道路(海岸道路)完成,串本自動車が運転開始。同15年海軍航空隊通信基地(現串本航空無線標識所)を地内権現に建設。同20年6月米軍B29により出雲港付近が空襲をうけ,死者8名(串本のあゆみ)。昭和28年二子島に鵜島灯台完成。昭和7年出雲区人口統計によると,戸数184,男485・女518,農業136戸・工業6戸・商業25戸・漁業10戸・その他7戸,田140反・畑314反。同40年権現に電波灯台完成,事業開始。同51年苗我島灯台完成。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7403249
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ