ケータイ辞書JLogosロゴ 市平村(近世)


和歌山県>九度山町

 江戸期〜明治22年の村名。伊都【いと】郡のうち。高野山学侶領。村高は「天保郷帳」17石余,「旧高旧領」14石余。なお「天保郷帳」には「古者摩尼之内」とあり,はじめは摩尼村(現高野町西ケ峰)に含まれ,江戸中期ごろに分村したと考えられる。天正19年10月日付の高野山寺領注文(勧学院文書/高野山文書1)によれば,「まに,下やとり,柿たいら,つゑかやふ,市たいら」を合わせて100石余。「続風土記」によれば,田畑高17石余,家数12軒・人数65。氏神は春日社。寺院は真言宗観音寺。堺県,五条県を経て明治4年和歌山県に所属。同6年には戸数12,男40・女26。同22年河根【かね】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7403285
最終更新日:2009-03-01




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