ケータイ辞書JLogosロゴ 井手広野村(中世)


和歌山県>かつらぎ町

室町期に見える村名伊都【いと】郡官省符荘下方のうち村名の初見は,応永初年ころのものと推定される政所下方在家垣内田数帳(高野山文書/大日古1-4)で「一,井手広野村 無」と見えるこれより前延元2年9月3日の官省符在家支配帳(同前1-7)に「成恵房〈有識免一宇 井手京一〉」,「要信房〈有識免一宇 広野得万〉」などと見え,当村はもともと2つの独立した村であったと考えられるそれぞれの地名は鎌倉期に見え文永10年11月18日の広野円仏山地寄進状案(短野区有文書/かつらぎ町史)では,「短野井手観音堂講衆中」にあてて「〈ヒロノ〉円仏」が山地を寄進しており,井手が短野に含まれていたこと,井手に観音堂があったことが知られる応永元年から同3年にかけて官省符荘の大検注が実施されており,この大検注の際には「井手広野村」として把握されていた応永2年12月12日の井手広野村田畠在家帳(御影堂文書/同前)によれば,田数1町7反26歩,畠数1町3反255歩,在家6宇(下地5反120歩)であったなお同帳には「ヒロ野一坪」「キシノシタ」「ヒせコ谷」「クリノ木原」「ヲノ上」「タコウせ谷」「井出堂前」「フユトウ谷」「井ノ口」などの字名が見える応永2年12月の井手岩山定状案(短野区有文書/同前)には「短野領内井手之岩山之事」とあり,この山は「元者井手ノ湯屋之屋敷也」と記されている江戸期の「続風土記」短野村の項に小名として広野が見えており,現在のかつらぎ町短野のうちに比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7403325
最終更新日:2009-03-01




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