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和歌山県>御坊市

 平安期から見える地名。日高郡のうち。古くは牧が設置され,「大御記」永保元年9月29日条に「酉剋,宿塩屋上御(野)牧預宅,日高郡友高,薗財庄・日高庄等送粮糧等」と見え,熊野参詣途上の藤原為房が塩屋上野牧預宅に宿泊し,その粮糧は近隣の薗財【そのたから】荘・日高荘(石内荘)から送られたことがわかる(県史古代1・御坊市史3)。「長秋記」大治5年12月21日条によると,鳥羽院が熊野参詣の帰路18日に上野に宿泊したが,その「右衛門督宿所焼亡云々。男女両子無為還着,為慶」とある(大成)。また「中右記」天仁2年10月20日条に「於上野坂上祓」と見え,藤原宗忠は塩屋王子で奉幣したのち,上野坂の上で祓をしている(同前)。さらに,久安4年2月5日紀伊国神野真国荘熊野詣雑事支配状に「神野・真国〈侍従中納言家領〉」「御熊野詣御還向雑事……伝馬十疋〈三月十一日可進上野御宿〉」とあり,神野真国荘から伝馬10疋を当地の宿まで提供させている(神護寺文書/平遺2639・2640)。「明月記」建仁元年10月11日条に,「次うへ野王子〈野径也〉」と見える。また「頼資卿記」承元4年4月26日条には,「上野有御歩,於王子近辺乗御々輿御参王子」とある。「経俊卿記」建長6年8月24日条に,「今日着財宿……於路次謁姉小路三位,今日越財宿可着上野之由被示之」と見え,康元2年閏3月24日条にも「越財宿可着上野」とある(図書寮叢刊)。このように当地は熊野参詣の重要な通過点であり,熊野九十九王子社の1つ上野王子が設けられていたことがわかる。正元元年の「続古今集」には,「熊野に詣で侍りける時,うへのにてよみ侍りける」という詞書をもつ前入道太政大臣の「昔みし野原は里となりにけり数ふたみの程はしらねど」という歌が収められている(国歌大観)。「熊野詣日記」応永34年9月24日条に「御宿上野,御まうけはしの湯川」と見え,将軍足利義満の側室北野殿は当地で宿泊し,その儲を当参御家人湯河氏が行っている(諸寺縁起集/図書寮叢刊)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7403453
最終更新日:2009-03-01




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