ケータイ辞書JLogosロゴ 畝畑村(近世)


和歌山県>熊野川町

 江戸期〜明治22年の村名。牟婁郡のうち。和歌山藩新宮領。大山組に所属。村高は,慶長検地高目録では30石余,ほかに小物成6石6斗余,「天保郷帳」45石余,「旧高旧領」47石余。明和〜寛政年間ごろの家数22軒,村高41石で免5ツ4分(紀州新宮領分見聞記/続熊野の史料)。「続風土記」には「実に深山僻地なり」とあり,鎌塚村と蓑尾谷村とに通ずる以外の道はなかったという。また地内の甚右衛門谷については「高さ百五十尋(約270m)許,深谷にして小跡通せす。平常山気陰翳し,霧雨ありて晴日なしといふ」とある。神社は明治初年に高倉社があった。寺院は臨済宗定福寺。明治4年新宮県を経て和歌山県に所属。同6年には戸数55,男122・女97。同12年東牟婁郡に属し,同22年小口村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7403515
最終更新日:2009-03-01




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