ケータイ辞書JLogosロゴ 江住村(近代)


和歌山県>すさみ町

 明治22年〜昭和34年の西牟婁郡の自治体名。江住浦・里野浦・見老津浦が合併して成立。旧村名を継承した3大字を編成。役場を江住に設置。明治24年には戸数438,男1,185・女1,173,学校4,大船11・小船90。当村は半農半漁村で,「県史近現代5」には「江住村漁民は漁業の傍ら農又は駄賃持稼を業とし漁事振わす」とみえる。農家の間では,明治期から江住牛(熊野牛)の飼育が盛んで,明治44年江住に家畜市場が開設された。昭和26年には江住寺前に家畜保健衛生所まで開設されたが,近年耕耘機の普及につれて江住牛が減少したため,家畜市場は同45年に閉鎖された。明治中期以降,当村から多くの海外移民者を出し,主な移民先はアメリカ・ハワイであった。明治期・大正期のアメリカへの移民者数は218人,昭和52年のハワイ江住同郷会会員は59人であった(すさみ町誌)。大正9年田辺〜串本間の大辺路が県道に認定され,昭和20年その県道田辺串本線が国道に昇格した。昭和13年紀勢西線(国鉄紀勢本線)が延長され,見老津駅・江住駅が開業。なお江須崎灯台は同36年に完成した。明治42年の戸数478・人口2,778。世帯数・人口は大正9年575・2,476,昭和10年626・2,657,同25年767・3,339。昭和31年すさみ町大鎌を編入し,4大字を編成。同34年すさみ町の一部となり,村制時の4大字は同町の大字に継承。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7403553
最終更新日:2009-03-01




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