ケータイ辞書JLogosロゴ 大谷村(近世)


和歌山県>吉備町

 江戸期〜明治22年の村名。有田郡のうち。和歌山藩領知行所。藤並組に所属。村高は,慶長検地高目録では80石余,ほかに小物成7升余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに184石余。「続風土記」によれば,田畑高184石余,家数56軒・人数232。江戸前期から集落北方の山腹ではミカン栽培が盛んであった。天保7年5月には当村庄屋が14か村の庄屋と連名で,大坂の蜜柑問屋6軒の不正を取り上げ,新問屋の設置を訴願するという事件があり,その後同種の事件が頻発し,生産者直売訴願なども行われた(県史近世3)。有田川河畔の水田は大谷井堰により灌漑が行われた。村の山手に鉱泉(硫黄泉)が湧出し,近在の入湯客が多かったという。江戸期には大谷織という木綿織の特産品があった。産土神は出【いで】村の丹生大明神社,井口【いのくち】村の高野明神社。寺院は浄土真宗本願寺派西明寺・同宗大谷派真楽寺。真楽寺はもとは大渓山築那院真楽寺という真言宗の寺であったが,文明年間蓮如経歴の際に改宗したと伝える(続風土記)。なお幕末には地士水崎十太夫がいた(南紀徳川史11)。明治4年和歌山県に所属。同6年には戸数59,男162・女152。同22年田殿村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7403668
最終更新日:2009-03-01




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