ケータイ辞書JLogosロゴ 賢村(近世)


和歌山県>吉備町

 江戸期〜明治22年の村名。有田郡のうち。和歌山藩領知行所。藤並組に所属。村高は,慶長検地高目録では144石余,ほかに小物成1斗余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに199石余。「続風土記」によれば,田畑高199石余,家数97軒・人数357,村居は東原・西原の2つに分かれ,村の東西の傾斜地ではミカン栽培が,山麓・谷あいでは谷川・出水による稲作が盛んであった。天保7年5月には当村庄屋が14か村の庄屋と連名で,大坂の蜜柑問屋6軒の不正を取り上げ,新問屋の設置を訴願するという事件があり,その後同種の事件が頻発し,生産者直売訴願なども行われた(県史近世3)。当村から北へ山越えする街道は賢越えといい,古来から人の往来があり,「万葉集」に見える「かしこの坂」はこの往来をさすという(万葉地理考紀伊篇)。産土神は出【いで】村の丹生大明神社,井口【いのくち】村の高野明神社。寺院は浄土真宗本願寺派発願寺。ほかに地蔵堂1宇。明治4年和歌山県に所属。同6年には戸数95,男213・女200。同22年田殿村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7403867
最終更新日:2009-03-01




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