ケータイ辞書JLogosロゴ 北塩屋(近代)


和歌山県>御坊市

 明治22年〜現在の大字名。昭和29年からは塩屋町を冠称。はじめ塩屋村,昭和29年からは御坊【ごぼう】市の大字。塩屋村役場所在地。明治24年には東西20町余・南北16町余,戸数258,男653・女637,学校1,大船1・小船56。昭和11年戸数311,男747・女730(塩屋村郷土誌)。村民の多くは農漁業を営み,主穀生産以外に,明治後期より養蚕業,大正期には除虫菊栽培などが導入され,農家経営の多角化が図られた。漁業は地引網漁が中心で,この網元から耕地・山林野を集積した大地主も生まれ,農林水産業にわたる支配力を誇った。日高川河口にあたる天田地区は商工業地域として発展。昭和8年以降,数多くの製材所が設立され,日高地方製材業の中心地の1つとなり,阪神地方に送荷。昭和10年に設立された鐘紡製糸出張所は,日高川上流の諸村および野口村・塩屋村などの日高川沿岸諸村の養蚕農家と特約を結び,生繭を集荷。同22年塩屋中学校開校,同24年野口中学校と合併し日高郡学校組合立河南中学校創立,当地に新校舎建設。同47年近畿大学青踏女子短期大学開校。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7404133
最終更新日:2009-03-01




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