ケータイ辞書JLogosロゴ 北又村(近世)


和歌山県>九度山町

 江戸期〜明治22年の村名。伊都郡のうち。高野山修理領。村高は「天保郷帳」69石余,「旧高旧領」70石余。地内に黒河村・柿平村・久保村の3か村を含む。「元禄郷帳」では「北又郷 北又村・黒河村・柿平村・久保村」と見え,「天保郷帳」には「北又郷北又村」として「古者北又村・黒河村・柿平村・久保村四ケ村」の注記がある。天正19年10月21日の豊臣秀吉寺領朱印状には「一,五拾石 同(伊都郡)北また」とみえる(蓮上院文書/高野山文書3)。また同10月日付の高野山寺領注文(勧学院文書/同前1)によれば,「北また,くほ村,くろ川」の3か村を合わせて村高52石余,「まに,下やとり,柿平,つゑかやふ,市たいら」の5か村を合わせて村高100石余であった。「続風土記」では4か村が別記されており,北又村の田畑高27石余,家数17軒・人数89,柿平村の田畑高17石余,家数7軒・人数31,久保村の田畑高11石余,家数9軒・人数49,黒河村の田畑高13石余,家数12軒・人数40であった。本郷の北又には阿弥陀滝があるが,これは滝壺で死んだ人の鎮魂のため百万遍念仏供養を毎年1月20日に実施していたことによるという(続風土記)。柿平の東の高畑の大岩は,若子【わこ】岩として著名であるが,これは丹生川の流れが激しく嬰児の泣き声のような音を発するため名づけられたとされている。また黒河の坤には黒河峠があり,高野奥院まで30町余であった。氏神は氏神社。同社は北又にあり,郷中の総氏神であった(同前)。氏神はほかに久保1村の氏神津越森三社,黒河1村の氏神八幡宮。神社は,北又に天一神社・八王子社2社,柿平に氏神社・丹生社など4社,久保に荒神社・弁財天社・八王子社2社。寺院は北又に真言宗西光寺。なお「続風土記」によれば,柿平に廃阿弥陀寺,久保に廃薬師寺,黒河に廃愛染寺がある。堺県,五条県を経て明治4年和歌山県に所属。同6年には戸数49戸,男139・女151。同8年には樵業を兼ねる農家が49戸あり,そのうち30戸が木炭を製造。女は耕作の余暇に薪炭を背負って行商にでた。物産は米120石・麦32石余のほかシュロ皮・コンニャク玉・生コウゾ・薪・木炭などを産出,薪・木炭などは近隣村に出荷した(北又村誌/九度山町史)。同9年久保小学校創立,同年北又簡易小学校と改称。同22年河根【かね】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7404191
最終更新日:2009-03-01




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