ケータイ辞書JLogosロゴ 北山村(近世)


和歌山県>貴志川町

 江戸期〜明治22年の村名。那賀郡のうち。和歌山藩領知行所。村高は,慶長検地高目録では380石余,ほかに小物成1斗余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに393石余。寛永8年3月の三浦将監宛知行目録には「一,三百三拾五石壱斗」と見え,当村の一部が三浦為時に与えられており,その後正保3年には320石余に割り直されている(三浦家文書/県史近世1)。御高並村名帳によると小倉組に属し,村高393石余うち新田高13石余(南紀徳川史10)。「続風土記」には「旧は西山村より出し村といふ」と見え,家数37軒・人数163,寺院は日蓮宗高幡山法華寺がある。また村内東部にある塞の神については「子を求むる者祈れば験ありといひ伝ふ」とある。当村は丸田川の沖積地と段丘および北の山麓からなる農村で,段丘には集落がある。明治4年和歌山県に所属。同6年には戸数37,男77・女77。同22年丸栖村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7404201
最終更新日:2009-03-01




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