ケータイ辞書JLogosロゴ 吉備郷(古代)


和歌山県>吉備町

 奈良期〜平安期に見える郷名。「和名抄」在田【ありだ】郡五郷の1つ。当郷の初見は,養老4年10月付の平城宮跡出土木簡で「紀伊国安諦郡吉備郷(以下欠)」とある(平城宮発掘調査出土木簡概報5/県史古代1)。また「日本霊異記」下に「紀臣馬養者,紀伊国安諦郡吉備郷人也」と見え,「今昔物語集」巻12にも「紀ノ臣馬養ト云フ,其ノ国ノ安諦ノ郡ノ吉備ノ郷ノ人也」と見えており(県史古代1),当郷は安諦【あで】郡が大同元年に在田郡となる以前から存在したことがうかがえる。仁寿4年6月7日の在田郡司解に「家地一町三段〈在吉備郷〉」のうちとして「一所三段〈在丹生村〉」「一所一町〈在野村〉」と見え,また「畠一町〈在吉備郷小島村〉」と見える(東寺文書礼/県史古代1)。丹生【にう】村とは現在の吉備町東丹生図・西丹生図付近のことと思われ,また野村の四至のうち「北至野田大溝」とは吉備町野田付近,さらに小島【おしま】村とは同町小島付近と推定されるところから,吉備郷は有田【ありだ】川流域の一帯であったことがうかがえる。なお江戸期の「続風土記」は当郷を藤並・田殿両荘の地に比定し,藤並荘下津野村の小名に吉備野があることをあげている。「地名辞書」は当郷を現在の有田郡吉備町土生【はぶ】・下津野・野田・小島付近一帯に比定しているが,有田川左岸だけではなく両岸に及ぶ一帯と思われ,現在の吉備町一帯の地域に比定される。平安期には,当郷内に下野荘・田殿荘・藤並荘などが立荘されたと考えられる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7404228
最終更新日:2009-03-01




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