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- 清川村(近世)とは
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清川村(近世) 江戸期~明治7年の村名佐久郡のうち千曲川支流吉沢川上流域に位置する天正10年6月22日の伴野善九郎宛北条氏政宛行状に「一ケ所 清河」とあり,碓氷【うすい】峠越の先勢となるよう命じて,当地などを新恩として宛行っている(武州文書/信史15)はじめ小諸藩領,元和8年徳川忠長領,寛永9年幕府領,承応2年甲府藩領,寛文元年幕府領,天和2年坂木【さかき】藩領,元禄12年には幕府領となる村高は,「天正貫之帳」193貫余,「正保書上」377石余,「元禄郷帳」「延享高書」ともに623石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに625石余宝永4年の年貢割付では,高377石余,田畑屋敷のほか山年貢京銭1貫448文がある(県町村誌)延享3年の助郷割替では小田井・岩村田両宿への助郷高420石を課せられた(安川家文書)明治元年伊那県,同3年中野県,同4年長野県に所属同7年常和【ときわ】村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
清川村(近世) 江戸期の村名伊都【いと】郡のうち真国川上流域の山間部に位置する中世にはケヤカワ村と称していたが,転訛して清川村となったと思われる日高村・鳥淵村などとともに上番村を構成高野山行人領友淵組に所属「続風土記」によれば,村高59石余,家数20軒・人数76,神社は小祠2社,寺院は真言宗古義清滝山清見寺と地蔵寺があり,村の山上に古城跡がある... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」