ケータイ辞書JLogosロゴ くき(中世)


和歌山県>花園村

 南北朝期から見える地名。伊都【いと】郡のうちと思われるが,在田【ありだ】郡のうちとする説もある。花園上荘に属していたと推定される。元弘3年7月25日の久木夏衆等用途請取状案(中南区有文書/県史中世2)に「クキノケシウラ」「クキノケムハチ」と見え,当地が「クキ」と呼ばれ,高野山金剛峯寺の堂に樒を供えたり,奥之院の清掃などの仕事に従事する夏衆がいたことがわかる。延徳4年12月1日の頼母子講衆契状(同前)にも「クキノ衆」と見え,年不詳3月13日付の有算書状(同前)には「くきの下司職事,預の中へいたし候かなんとうけ給□(候)」と記されている。また天正19年10月日の高野山寺領注文(勧学院文書/高野山文書1)に同寺知行の伊都郡のうちに「八拾九石三斗七升 大たき,あいの浦,にい村,くき,中南,北寺」と見える。なお,南北朝期のものと思われる年未詳9月16日の文書断簡(中南区有文書)に「クキノ百姓」と見える。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7404264
最終更新日:2009-03-01




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