ケータイ辞書JLogosロゴ 九度山村(近世)


和歌山県>九度山町

 江戸期〜明治22年の村名。伊都郡のうち。高野山行人領。村高は,「天保郷帳」392石余,「旧高旧領」399石余。天正19年10月21日の豊臣秀吉寺領朱印状に,「一,弐百八十石 同(伊都郡)くと山」と見え(蓮上院文書/高野山文書3),また同年10月日付の高野山寺領注文に,「伊都郡……弐百七拾六石八斗一升 くど山」と記されており(勧学院文書/同前1),当村280石が高野山領として豊臣秀吉から承認されている。「続風土記」では,田畑高392石余,家数280軒・人数1,124,小名は広良・古曽部。なお古曽部は古く当村の本郷であったが,後に川辺に村居するものが多くなり,小名となったという(続風土記)。氏神は槙尾山明神社。同社別当寺として遍照寺がある。神社は稲荷社・竜宮・天神社・太神宮。寺院は真言宗善名称院・我覚寺・不動院・妙徳院・観音寺。なお我覚寺以下4か寺と廃自性院・廃威徳院を合わせて六坊と称された(同前)。ほかに阿弥陀堂1宇。堺県,五条県を経て明治4年和歌山県に所属。同6年には戸数361,男716・女778。同8年の物産は米516石・麦293石余・ソラマメ40石・菜種50石・葉藍1,500貫・木綿2,000反など生産総額1万4,502円余,また商業70戸・農業200戸・雑業110戸,紡績女80人,牛36・馬9であった(九度山村誌/九度山町史)。同22年九度山村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7404316
最終更新日:2009-03-01




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