ケータイ辞書JLogosロゴ 国主(中世)


和歌山県>貴志川町

 鎌倉期から見える地名。那賀郡のうち。安貞2年3月24日の法橋某等連署寄進状(薬師寺所蔵文書/続風土記)に「件田者雖為高野新田内,依国主之四至内永薬師如来奉」とあり,「千字谷田八十歩 国重」が当地の四至のうちとして薬師寺(国主寺)に寄進されている。その後,地名としての国主は見えず,嘉元元年6月の沙弥阿念置文写や同年7月16日の藤原祐方置文写などに「那賀郡貴志荘国主寺」とあるように寺院名として見える。これら史料は,国主寺は関東祈祷所であることを理由に新儀の課役や万雑公事などをかけることを禁じたものである(薬師寺所蔵文書/続風土記)。また,応長元年5月16日の阿闍梨栄実書状写では粉河【こかわ】寺修造のために国主寺に賦課した棟別銭も停止するよう主張している(同前)。建長5年の僧行実寄進状に見える「国主別所」も国主寺のことと思われる。なお薬師寺所蔵文書については検討を要する。また当地は神戸【こうど】の出村で,国主明神の神名をもって村名としたといわれ(続風土記),一段高い台地部には大国主神社がある。現在薬師寺(竜王山国主院)には明徳2年3月10日の銘を有する板碑がある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7404324
最終更新日:2009-03-01




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